プロであることの定義。

プロであることの定義の境界線はどこから?

今日のブログは、ぜひいろんな方に読んでいただきたい内容だと思って書いています。

とある生徒さんからヒントをいただいた記事です。ヒントの内容の詳細は書きませんが、ここからは私の考えです。

この「プロかアマチュアか」の定義って実に難しいですよね。

正直、日本は特にこの定義が難しい国だと思っています。

海外の場合は、複数の職業を普通にこなして、例えば靴磨きとプロのバイオリン弾きとか(ちょっと発想が古いかもしれませんが)、それらを同時に二つ職業だとみなすのに対して

日本は特に「1つのことに特化している」人をプロと認識することが多いような気がしています。

先ほどの海外の例だと、おそらくどちらの商業も「プロだ」という主張になるのではないのか?と予測します。

自分がプロだと思えばプロ。で良いのではないでしょうか?

コロナの時代になって、ある意味での隙間産業的な、人が考えていないようなビジネスをしたり、人があまり手を入れていないところを見つけてそこを詰めていったり

色々な策を講じながらこれから生きていく必要があると思うのですが、

今まで少なからずあった日本特有のブランド志向(だれと仕事をしたか、何の仕事をしたか)という部分に関してはちょっと形が変わっていくのではないかな?と感じています。

本当に世間の人が求める面白いものを提供できるか?とか、自分の心を満たしてくれる存在であるか?とか、そちらのほうが重要になってくるのではないのかな?と強く感じています。

私も良く相談される内容なのですが、「これってお金をいただいていいものでしょうか?」とか「この仕事は受けるべきでしょうか?」とか・

よくよく聞いてみると、「自分にはそれを大手を振って プロです!と主張してよいものか?」という所の疑問符がご本人たちに大きく掲げられているようです。

これはあくまで私の考えですが、例えば劇団に所属をしていて、仕事といってもノルマのある仕事で固定のギャラを貰えていない舞台ばかりこなしていたとして、「自分はこれを仕事と言えるのかな?」と疑問に思ったとしたら(あくまでたとえです)

私だったら、舞台とは別で自分がシナリオを書く能力があるなら、ライター業をするとか、HPを自分で作成して「プロの俳優が書く、本気のキャッチコピー、1文言○円」とかとにかく、自分のスキルを販売することを考えます。

先ほどの、プロであることの境界線という部分ではやはり対価をいただく。という事

は私の中で外せない部分だと思うので、メインの活動でマネタイズできないのであれば、メインの活動から派生した何かでマネタイズできれば、この場合

「プロの俳優」というプロ肩書は自分で作れると感じます。

ムラーラの秘密はプロ意識にあり。

うちは弱小ボイトレ教室ですが、なぜに生徒さんがこんなに粒ぞろいなのか?と改めて考えたら

すべてはこの「プロ意識」にあると考えました。

今日から自分がプロだと思えば、「プロ」で良いと思います。先ほどのマネタイズの部分はとりあえず置いといて、自分は今日からプロです。

で、今日からプロになったのであれば、行動がそれに伴うはず。あとは一番大事なのは自分はプロなのだから、自分をプロ扱いしてくれる人とだけ付き合うこと。

これに限ります。

プロ扱いする言うのは「プロだね~すごいね~~」とうらやむことではなくて、プロだからこそ、厳しさや、期待をもって自分に接してくれる人のことです。

その代わり、「プロっていっても所詮自称でしょ?だからただでやってよ。」みたいなのは論外にして良いと思います。

私は、「ただで良いですよ」という方には絶対にお仕事をお願いしません。怖くてたまりませんから。(笑)

だからといって初めから「お金お金」というのも話は違って、適材適所。タイミング。この仕事なら、採算度外視でしてもいいな?とか。

これは、自分が今後大きくしていきたい分野だから、スタートアップでこのくらいの金額設定にしよう。とかでしょうか?

長くなりましたが、こんなようなことを、もっとシンプルな言葉で常に生徒さんがたに伝えています。いや、伝えなくても伝わっています。

うちの出席に関する細かい規約がそれを物語っています。プロであると生徒さんを認識していて、そこに信頼関係が生まれています。だからこそ、生徒さん方はもうすでに「プロ」として立っていて、なのでどんなことがあってもご自分を「プロ」であると常に認識するに至るのだと思います。

ご自分がプロである以上、きっとご自分に可能性を感じてお仕事をされているのだと思います。

様々な軌跡の舞台に立ち会えるのが楽しみです。

 

 

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