日本人が信心深い人に警戒する理由。とその是非。

信心深い人は嫌煙される傾向にある。

昨日に引き続き、辛辣投稿です。しかしながら、こうやって書いていることの真意を理解してくださる人達や、生徒さん達と出会いたいと思うのであえて書きます。

以前英会話レッスンをしていた時、外国の先生から(あなたの信仰している宗教は何ですか?)と、はじめまして。の次くらいに会話で聞かれました。

勢いよく、「家は仏教ぽいけど、自分は無宗教です!」と答えると、先生の顔が思いっきりハテナ?になりました。

今思うと、たしかに海外の方から見たら、

なんやほれ?と思うような回答ですよね。

海外では、礼拝の時間やラマダンの習慣などで会社での休暇の取り方や、勤め方に大きな影響があるので、一番はじめに聞かれる事だ。と聞いたことがあります。

しかし、日本ではほぼほぼ宗教の話はタブー。もっと言えば、選挙の話、野球チームの話、今ならワクチンのはなし。

なんかもタブーだと言われていますよね。

とてもよくわかります。私も避けますし。

ただ、私は神社やお寺には相当数通っています。

何故ですか?と聞かれた事もありますし、

お札を飾ったら、「スピリチュアルは受け入れられない。」と啖呵を切られた事もあります。

ただ、よく話を聞いてみると、スピリチュアルは嫌いだけど御朱印集めはしていると言います。

いやいやいや。ですよね?

しかし、信心深い人を嫌う傾向は日本人に非常に多く見られる心理だと思います。でも、新興宗教団体が過去に問題を起こしたり、

勧誘されるだろう?と言ったような疑心暗鬼感が拭えないことも要因と考えれば納得します。

ちなみに私は神社で願い事はしません。

ほとんど無心で手を合わせますが、基本的には感謝の気持ちを伝えます。

そして不思議なことに、私がそのように手を合わせたり、神社に出向いたりする時に限って連絡をしてくる、まさにナイスタイミングな方々がいます。

その際に、気が向いた時にだけ今自分が神社にいることを伝えるのですが、

そうするとその方々もご自分のタイミングのよさにテンションが上がります。

そのあと、仕事が入った、いいことが不思議と続いた

なんてことを言われることが本当に多い。

で、これを神様のおかげだと捉えても勿論ヨシ!ですが、きっかけは自分自身の思考にあると考えるのが素直では?

と思うのです。

私が今まで見てきた中で、信心深い人を馬鹿にする人に限って、他人に対しての要求が多かったり、他人のせいにする人が多かったです。

私も以前はそうでした。

信心深い。と言うのは、自分自身と向き合うことを辞めない人だ。と思うとすごく好感が持てないでしょうか?

しかし、お願い事ばかりしている人、願いが叶わないのは神様のせい?と思うのは違うのでは?と考えます。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました