ナレーションに慣れすぎないためのたまに外画風読みレッスン。
夜な夜な。こんばんは。汗汗。先ほど必死にちょっとだけ原稿つくりをしておりました。
今日はちょっとだけ外国語映画風の原稿を作っていました。実はナレーションの読みの練習ばかりをしていると、どうしても「人間が自然に話すテンポ感覚や間」といったものが損なわれてしまう傾向にあります。
ナレーションを読むときに、ちょっとした「よいしょ」感は誰しも出てしまうものですが、それを常に「節」として持っているとそこがどうにも「癖」として認知されるようになってしまいます。その癖がウィークポイントにならないように、時には「人の演技」をする。ということが重要になります。
役者さんの読むナレーションが肝。
実は私、1980年代の「霊幻道士シリーズ」が大好きでして・・・。はい。あのキョンシー映画です。有名なのは、リューツーイーちゃんのテンテンの方のキョンシー映画ですね。あちらの方は「幽幻道士」というシリーズになって、どちらかというと、もう少し子供向けにアレンジされたものです。でもテーマソングが豪華にも細野晴臣さんだったり本当に人気で、キョンシーブームの先駆けになったものです。
例えば、その霊幻道士、主役の「ラムチェンイン」さんの吹き替えを 青野武さんなどの豪華メンバーが行っていました。また、その下っ端役には古谷徹さんなど。錚々たる顔ぶれでした。ここで重要なのは、このころの映画の吹き替えって、本人(読み手)さんが役者さんとして「演じていた」ということ。です。
その演技の幅というものは実に自然で、まるで本人が吹き替えではなく本当の演技をしているのではないか?と錯覚するレベルだったと思います。
それがだんだん「声の役者」さんが「声で演じる」という方向性になってからは、どうにも「キャラクターを演じる」という方にシフトしていったと思います。
そして時代は巡り、ではありませんが、役者が再び役を演じるという読みが必要になってきたように思います。
そしてそれは、外国語吹き替えの様な演技にとどまらず、ナレーションにまでその波が波及しているようにも思えるのです。
この若干の違いというのは表現が難しく、私もまだまだ勉強中です。
ですが、そういった課題に対応するには、工夫したレジメが必要だと思います。
なので、映像のない、レジメだけの世界観でいかに想像できるか。これは見ものだと思います。
明日のレッスンに備えます!
コメント