新たな発想は、世の中の常識の外に常に生まれる。という発想(妄想)
最近真面目な記事が多かったので、この辺りで奇想天外な記事を書いていこうと思います。(笑)
最近はお知らせが多かったですね。
実は昨日ふと主人と夕飯を食べていて、「ロスジェネ世代って我々の事?」というトピックが立ち上がりました。
ネットで調べると、1991年からの10年間に就職活動をした人。という記載がありました。私は2002年卒で、基本的にはほぼほぼ氷河期世代です。
私の生徒さん方は基本的に私よりも若い方、特に10歳以上若い方が多いので、この言葉自体、もしかしたらあまり親近感が無いかもしれません。
主人は普通のサラリーマンですが、まさに自分の1個上ぐらいから10個上ぐらいがすっぽりいないと言っています。ちなみに主人は私の1学年下になります。
ちなみに私が大学を卒業した2002年頃、大学を出た後に専門学校に入りなおす人を結構見かけました。
その目的はズバリ「公務員になるため」でした。
公務員になるための専門学校っていうのがあるんですよね。うちの県にもありました。大学を出ただけでは職に就けないといって大学院に行く人もいました。
さて、当の私(宮島は?)と言いますと・・・宮島の大学時代とその後のお話をしたいと思います。(笑)
そもそも就職という概念と義務感が無かった・・・
正直、「就職」という言葉自体が無縁だと本気で思っていた20歳でした。(笑)
就職とか仕事をしないといけない環境に自分が置かれることが本当に信じられない人種でした。いや、本当に今だったら「YOUTUBERになるんだ」とか言えば、現実味があるような気がしますが、「ノープラン」ですよ。
かといって、音楽で食べていきたい。とか講師業をやってみたい。とか。皆無でした。その頃の私の事を聴いて、皆さんぜひ勇気を得てください。
こんな人間でも多少は人様のお役に立てるという事を知っていただければ嬉しいです。(笑)
しかしながら、この生き方をシェアすることが、最大に生徒さん方の背中を後押しできるような気がしてやみません。
父も母も「お前どうするんだ?」と私に一切聞いてこなかったのが本当にすごいな。と今はそう思えます。
大学卒業の前の年当たりから、某Y社のグレード試験を受けるようになりました。この資格を持っているとある程度「音楽的な能力がある人」と認めてもらえるライセンスで、Y社への講師になれる可能性もあるというものでした。
私はピアノの資格と教育の資格の両方を取りました。しかし、この講師の枠は狭き門で、地元の楽器店にお話を伺いに行っても、半分門前払いのような感じで、試験も受ける気にならず、あとはふてくされてやる気を失っていきました。
その頃、大学での就活のための講義みたいなものがあったのですが、その場にいた人は全員リクルートスーツでした。おまけに髪の毛は黒く染めて、髪を一つで結っており、
私服で茶髪の自分は、完全にアウェイで目立っておりました。
そして、その担当講師に「この場所にスーツで来ない人は」云々かんぬん嫌味を言われ、睨みつけたことを覚えています。(本当にダメ人間)
絵にかいたようなダメ人間ていうのは私の事です。(笑)
基本的に資格を持っていることは自分を誇示するためのアイテムにしかすぎず、人と馴染むことが出来ず、人と同じは無理だという人種でした。
そこからどうなったかと言いますと、最終的に卒業の年。卒業まであと1か月と言う所で、「留学したい」という提案をするも、即却下。
「同じスーツを着て同じ髪型してる人、無理、あんなのと一緒にいられない。」と親に対して謎の宣言をします。
そこから完全に見放されて、学生時代にアルバイトをしていたコンビニの副店長から、「良かったらそのまま働く?」と言っていただけて、
私は自宅でパラサイトしながら、コンビニのバイトをする人生を選択したのです。
一旦はその選択をしたものの、卒業間際になり、運命を変える出来事が起こります。
続きを書きました↓
https://www.muraramusic.com/miyajima-naritachi-vol2/
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